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そのほか

嵐子さん語録 2

  ピアソラと藤沢嵐子さん

(先日、世界的なタンゴ歌手、藤沢嵐子さんが亡くなりました。
20代の頃から、司会者としてご一緒する機会があり
忘れられない嵐子さんの思い出を綴ります。)

1982年、アストル•ピアソラが来日。
この日本公演の歌手は藤沢嵐子さんでした。

日本公演が決まるより更に10年ほど前、ピアソラに
「もしも日本で公演するとしたら、歌手は誰を連れて行きますか?」
と聞いたとき、返って来た言葉は
「連れて行く必要はない。日本にはRANKOがいるじゃないか。」
そしてそれが実現したのでした。
因みにピアソラは海外公演に行く先々で、「ロコへのバラード」をリクエストされたのですが、歌手がいないから演奏できないと断わり、海外ではなかなかこのヒット曲は聞くことができなかったそうです。
…と、当時のパンフレットに書かれていまさした。

藤沢嵐子さんといえば、日本のタンゴブームの頂点にあった方ですが、それ以上に尊敬を集めていたのはアルゼンチン本国でした。10年のブランクの後、活動を再開した嵐子さんは、17年ぶりにアルゼンチンを訪れました。「ランコ帰る!」と、空港ではテレビカメラや取材陣が待ち構え、記者会見には500人近くの記者がおしかけ、特別番組や劇場での長期出演など大変な騒ぎ。
「ランコに17年の空白はない」
「ランコの神話は崩れなかった」
と新聞の見出しは書きたてました。
このすぐ後にピアソラの日本公演が決まったのです。タンゴ生誕100年に湧いて再びタンゴの人気が高まろうという時でした。

そんなわけで、ピアソラにとっても歌手は藤沢嵐子さん以外には考えられなかったのです。日本公演では、「ロコへのバラード」「チキリン•デ•バチン」「チェ•バンドネオン」といった歌に、ピアソラ、パプロ•シーグレル、スアレス•パス、オスカル•ロペス•ルイス、エクトル•コンソーレという夢のような演奏が実現しました。
司会は評論家の高場将美さん。このとき私は客席で堪能しました。

いま考えれば信じられないことですが、
11月19日(金)中野サンプラザ、
20日(土)神奈川県民ホール
と、たった二ヶ所。しかも両日とも夜のみの一回公演。
音楽界の風雲児も、当時の日本ではクラシック•ファンや一般の人にはまだあまり知られていませんでした。また、古くからのタンゴファンの方々には、ファン•ダリエンソ•スタイル…というか、リズムのはっきりした、いわゆるタンゴらしいタンゴでないと嫌だという方が多く、ピアソラの先鋭的なタンゴには拒否反応を示す方も少なくなかったのです。
そんなわけで、さすがのピアソラの日本公演も、二回が精一杯だったのでしょう。
でも、志賀清さん、京谷弘司さん、池田光夫さんをはじめとするマエストロや日本のタンゴの演奏家たちは、ピアソラの曲をどんどんレパートリーに取り入れていました。ですからタンゴ新参者の私にとっては、ピアソラも古典タンゴも、両方一緒に出会ったため、区別することなく、むしろピアソラの方が馴染みやすかったくらいでした。

タンゴ界に復帰した藤沢嵐子さんは、決して懐かしのメロディーを歌うのではなく、長年歌い続けてきた曲も、今の嵐子さんでなければ歌えないものに変化していました。そして、ピアソラや、マリアーノ•モーレスなど、新しい曲もどんどんレパートリーに加わりました。そんな中でのピアソラとの共演だったのです。

(写真は1982年、来日公演のプログラムです)

IMG_piazzolla.jpg
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プロフィール

はんがん

Author:はんがん
河崎早春(かわさき さはる)
俳優、朗読家。NPO日本朗読文化協会講師。

舞台の案内、これまでの舞台、仕事歴は
公式HP 「ことばの国」

朗読、語りの様子はYouTube
「ちりぢごく」「瘤取り」ほか


プライベートな 趣味の世界は Facebook

なお、武者小路実篤記念館のHPで
詩の朗読の映像も見られます。
→ 「詩の世界」

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